Corporate
2022.06.22
副社長兼CFO中村が語る ジェネラリストなコーポレート人材 ―前編― 複数の専門性を育てたキャリアとは?
証券会社からキャリアをスタートし、インターネット黎明期にネットベンチャー企業で経験を積み、独立してコンサルティング会社を設立。その後BEENOSにジョインし、事業責任者も果たすなど、代表取締役執行役員副社長兼グループCFOの中村さんはジェネラリストとして複数の専門性を持ちます。グループ全体の管理部門を統括するコーポレートの長は、コーポレートの役割やそのキャリアパスについてジェネラリストの重要性を語りました。そんな中村さんに強いコーポレート組織とその役割についてインタビューを実施。前編では複数の専門性を育てた経歴とBEENOSにジョイン後のお話を伺いました。
―最近コーポレートのメンバーとして、強いコーポレート組織をつくるために個人は何ができるか考えています。以前、『BEENOSのことを本当に一番ご存じなのは、中村さんだよね』という話が出てまいりまして。中村さんのキャリアを紐解けば何か感じるものがあるのではないか、中村さんの様になれないかなと思って、本日はまいりました。よろしくお願いいたします(笑)。まずこれまでのキャリアからお話お伺いさせてください。
中村:この話をもらって考えていたんだけど、僕は何かを体系立てて勉強して今があるわけではなくて、目の前にあることを愚直にやってきただけなんですよね。新卒では証券会社(野村證券)に入ってIPO部門で企業の上場支援の仕事をしていました。1990年から96年の在籍時は、インターネットが出始めの頃でネット企業はまだほとんどなくて、みなさんが知っているような小売業やアパレル、メーカーといったいろいろな業種を担当しました。上場を目指している企業ということもあり、それぞれの会社が成長企業で、担当させてもらう中で、様々な事業や経営者を見て、いくつもの問題にも遭遇することがあり、それにどう対処していくのかといった経験の中で学ばせてもらったと思います。
―キャリアの中で一番最初のターニングポイントはいつですか?
中村:証券会社を退職後、ITベンチャーに入った時かと思います。
―なぜITベンチャー企業に行かれたんですか?
中村:上場支援の仕事は実際に様々な会社の上場をサポートすることが出来て、経営者にも感謝され、すごくやりがいのある仕事でした。ただ、外からのサポートなので、「担当企業が上場しました、時価総額何百億円です。」と数字はすごいんですけど、僕自身には雲を掴むような、何の手ごたえもないという感覚でした。そこで金融ではなく、事業をやりたいと思うようになったんです。元々学生時代から自分で事業をやりたいと思っていたから、どこかで事業サイドに入りたいと思ってました。
当時はインターネット黎明期でしたが、運良くIT企業を担当する機会をもらいました。担当して一緒に仕事をしていく中で、その企業の社長から、うちに来てくれないかと誘いを受けました。僕自身、インターネットは世の中を変えると確信していましたから、会社を移って証券会社の立場ではなく、事業をやりたいと思いました。そして入社したんですが、実態はめちゃくちゃ大変で(笑)。若かったこともあり、ビジネスモデルに惹かれて転職を決めたから、本当の会社の状態を正しく調査してというプロセスがお粗末で、入ってみたら結構ひどくて火の車みたいな状態でした。監査も入ったばかりで未上場企業ではありがちな話ですが、それまで大企業にいてお金の心配をしたことがないのに、明日どうするみたいな状態になってしまう。毎月末に社員の給与も払えず、自分の生活も不安定になって、大きなカルチャーショックを受けましたね。外の立場から見える企業と、内部から見た違いというのはすごく感じました。
今は中に入らなくても、決算書だけで粉飾決算とか見抜ける自信があります。(笑) 数字の違和感には直感で気づきます。数字が語りかけてくるんですよ。
証券会社時代に何十社も上場準備する会社や決算書を見てきたり、ベンチャー企業での辛かった実体験や感覚があるからですね。
―色々な業務をご担当されたとか。
中村:当時、僕は大企業から来た人だから何でもできると思われてました。それこそ広報も、人事もできると思われていたから、全部やりました。その時は専門性があった訳ではなかったけど、やるしかなかった。様々な業務を人に聞いたり、本を読みながらやらざるを得なくてやりました。僕より前にベンチャー企業に転職していた先輩からも「何でもできると思われているから覚悟しとけよ」と忠告されていたんですが、全くその通りになりました。
―今コーポレートであらゆる部門の判断をされていて。その背景には様々な領域の業務をご担当された、当時のご経験が大きそうですね。中村さんにもそんな時代が!と感じるようで、やはり仕事自体色々やってみないと中村さんみたいになれないですよねと納得が大きいような、そんなキャリアのエピソードですね。
中村:当時はジェットコースターに乗っているような毎日でした。僕がそのベンチャーに入社後間もないころにビル・ゲイツが事業に関心を持って買収したいとわざわざ会いに来たんですよ。ベンチャーだったけど、世界中にビジネスモデル特許を申請してたから強気の交渉してて、結局条件が合わずに破談になってしまいました。その辺から歯車がくるいはじめて、準備していた米国上場もスタートアップの赤字企業に対する風当たりも強くなって見通しが立たず、銀行からの信用も悪化しはじめて、融資していた銀行が一気にお金を引き始めてしまって最終的には倒産となりました。本当にその時は生きた心地がしなかったです。
―その後独立されるんですよね?
中村:そうですね。そのベンチャーを辞めたあと、野村證券の先輩達とベンチャー企業向けの上場コンサルティング会社を立ち上げました。その会社がSBIに買収されることになったので、僕はそのタイミングで独立したんです。
―どうして独立をされたんですか?
中村:元々自分で事業をやりたいと思っていたのとコンサルティング会社でも自分のクライアントが多かったこともあって、独立してやれる自信があったからですかね。僕に賛同したもう一人と、上場コンサルティングや内部監査のアウトソーシング、企業再生の仕事をはじめました。
独立して学んだことは 自分たちがやっていたコンサルティング事業ってあんまりアップサイドがなかったんですよね。どれだけ自分の時間を切り売りするかみたいな、朝から晩まで必死に働いていたんですけど、40歳位まではいいけど、もう少し歳を取ったときに今のままじゃ難しいなと感じていました。もっと大きなビジネスをしていきたいなと思ったときに、ネットプライス(BEENOSの前身)の社長の佐藤さんと出会ったんです。
―佐藤さんとの出会いについて教えてください
中村:これが縁なんですよね。僕の前任のCFOが野村證券の同期だったんです。その同期から相談が来て、上場を準備しているんだけど、監査役をやってくれないかって頼まれたんです。しかもその同期もまた別の野村の同期から誘われてCFOになっていたんですよ。2人の同期の縁で今の僕があります。
―監査役からCFOになられたんですか?
中村:違うんです。ネットプライスが無事上場してまもなく、佐藤さんから100%ネットプライスにコミットしてもらえないか?と言われたんです。当時は自分でも会社をやっていたし、監査役だったので週に数回しか出社していなかったんです。てっきり僕は管理部門をみて欲しいというリクエストだと思い込んでて、すでに同じキャリアの前職同期がCFOとしていたから、「僕には彼以上に新しい価値は提供できないと思いますよ」と答えたところ、佐藤さんからは意外なオファーが、、、「CFOじゃなくて事業をやって欲しい、金融事業を考えて欲しい」と。ネットプライスの顧客基盤や取引先を対象にした金融事業なら面白いかもしれないと思い、そのオファーをお受けしました。新たにネットプライスファイナンスという会社を立ち上げ、GEコンシューマーファイナンス(当時)と合弁でネットプライスカードを設立しクレジットカード事業を始めたり、少額短期保険の事業を始めました。
1年半ほどやっていましたが、2007年に持株会社体制に移行するタイミングで僕がCFOになって、ファイナンスの会社はネットプライスに吸収して…という流れです。監査役から金融事業の代表取締役を経てCFOになったんです。
―事業のご経験での一番の学びは何でしたか?
中村:事業って色んな人を巻き込まないといけないじゃないですか。新規事業をやっている方はみなさん感じていると思うんですけど、自分一人じゃ何も出来ないんです。たとえばクレジットカード事業開始します。GEと提携します。とプランニングや提携交渉は、もしかしたら一人でもできるかもしれないですが、実際にサービスに落とし込んでいく段階ではシステム開発が必要で、当時は竹内さんがCTOだったんですが、彼に開発をお願いしないといけません。でもネットプライスの開発をメインにやっているところからすると、カード事業の開発の優先順位は高くなかったんですよ。なかなか思うように進まないんです。だから強力な巻き込み力が求められました。もちろん自分の考えだけを押し付けてもだめだし、みんなそれぞれ優先順位がありますし。優先順位は全体を見て判断していく必要があって、業績へのインパクトと緊急性のバランスが重要です。新規事業をやってる人たちも同じような悩みを抱えていると思います。事業責任者は自分の事業を伸ばすことに集中しますが、一方でグループ全体を見て判断していかなくてはならないところもありますよね。どう折り合いを付けていくかがすごく難しいです。誰も間違っていないんです。こういう苦労は僕もしたんですよ(笑)。
―事業責任者の苦労もご存じということですね(笑)。2006年から管理部門統括をされて。
中村:そうですね。2003年から2004年が監査役、2004年から2006年が金融事業の社長、2006年から管理担当になって持株会社体制への移行を主導するような形ですね。
―持株会社体制への移行はどういう意向で行ったのですか?
中村:ネットプライスは変化の激しいIT業界の中で、常に新しい価値を生んでいきたい、新しい事業をどんどん創造していきたかったんです。そこで新しい事業をネットプライスの下に置いてしまうとどうしてもネットプライスの事業や組織、人に影響を受ける形になってしまうんです。それをネットプライスと並列で、ネットプライスとは異なる領域の事業も作っていくような形にした方がいいと考えて持株会社体制に移行したんです。
―様々なことをしている中でそれぞれの専門性が育っていったという感じでしょうか?
中村:僕の場合はそうですね。最初からこういう風になろうと思っていたわけではなくて、目の前の課題に対応してきた結果ですね。
後編に続く
―最近コーポレートのメンバーとして、強いコーポレート組織をつくるために個人は何ができるか考えています。以前、『BEENOSのことを本当に一番ご存じなのは、中村さんだよね』という話が出てまいりまして。中村さんのキャリアを紐解けば何か感じるものがあるのではないか、中村さんの様になれないかなと思って、本日はまいりました。よろしくお願いいたします(笑)。まずこれまでのキャリアからお話お伺いさせてください。
中村:この話をもらって考えていたんだけど、僕は何かを体系立てて勉強して今があるわけではなくて、目の前にあることを愚直にやってきただけなんですよね。新卒では証券会社(野村證券)に入ってIPO部門で企業の上場支援の仕事をしていました。1990年から96年の在籍時は、インターネットが出始めの頃でネット企業はまだほとんどなくて、みなさんが知っているような小売業やアパレル、メーカーといったいろいろな業種を担当しました。上場を目指している企業ということもあり、それぞれの会社が成長企業で、担当させてもらう中で、様々な事業や経営者を見て、いくつもの問題にも遭遇することがあり、それにどう対処していくのかといった経験の中で学ばせてもらったと思います。
法務、人事、採用、広報と何でもやったITベンチャー
―キャリアの中で一番最初のターニングポイントはいつですか?
中村:証券会社を退職後、ITベンチャーに入った時かと思います。
―なぜITベンチャー企業に行かれたんですか?
中村:上場支援の仕事は実際に様々な会社の上場をサポートすることが出来て、経営者にも感謝され、すごくやりがいのある仕事でした。ただ、外からのサポートなので、「担当企業が上場しました、時価総額何百億円です。」と数字はすごいんですけど、僕自身には雲を掴むような、何の手ごたえもないという感覚でした。そこで金融ではなく、事業をやりたいと思うようになったんです。元々学生時代から自分で事業をやりたいと思っていたから、どこかで事業サイドに入りたいと思ってました。
当時はインターネット黎明期でしたが、運良くIT企業を担当する機会をもらいました。担当して一緒に仕事をしていく中で、その企業の社長から、うちに来てくれないかと誘いを受けました。僕自身、インターネットは世の中を変えると確信していましたから、会社を移って証券会社の立場ではなく、事業をやりたいと思いました。そして入社したんですが、実態はめちゃくちゃ大変で(笑)。若かったこともあり、ビジネスモデルに惹かれて転職を決めたから、本当の会社の状態を正しく調査してというプロセスがお粗末で、入ってみたら結構ひどくて火の車みたいな状態でした。監査も入ったばかりで未上場企業ではありがちな話ですが、それまで大企業にいてお金の心配をしたことがないのに、明日どうするみたいな状態になってしまう。毎月末に社員の給与も払えず、自分の生活も不安定になって、大きなカルチャーショックを受けましたね。外の立場から見える企業と、内部から見た違いというのはすごく感じました。
今は中に入らなくても、決算書だけで粉飾決算とか見抜ける自信があります。(笑) 数字の違和感には直感で気づきます。数字が語りかけてくるんですよ。
証券会社時代に何十社も上場準備する会社や決算書を見てきたり、ベンチャー企業での辛かった実体験や感覚があるからですね。
―色々な業務をご担当されたとか。
中村:当時、僕は大企業から来た人だから何でもできると思われてました。それこそ広報も、人事もできると思われていたから、全部やりました。その時は専門性があった訳ではなかったけど、やるしかなかった。様々な業務を人に聞いたり、本を読みながらやらざるを得なくてやりました。僕より前にベンチャー企業に転職していた先輩からも「何でもできると思われているから覚悟しとけよ」と忠告されていたんですが、全くその通りになりました。
―今コーポレートであらゆる部門の判断をされていて。その背景には様々な領域の業務をご担当された、当時のご経験が大きそうですね。中村さんにもそんな時代が!と感じるようで、やはり仕事自体色々やってみないと中村さんみたいになれないですよねと納得が大きいような、そんなキャリアのエピソードですね。
中村:当時はジェットコースターに乗っているような毎日でした。僕がそのベンチャーに入社後間もないころにビル・ゲイツが事業に関心を持って買収したいとわざわざ会いに来たんですよ。ベンチャーだったけど、世界中にビジネスモデル特許を申請してたから強気の交渉してて、結局条件が合わずに破談になってしまいました。その辺から歯車がくるいはじめて、準備していた米国上場もスタートアップの赤字企業に対する風当たりも強くなって見通しが立たず、銀行からの信用も悪化しはじめて、融資していた銀行が一気にお金を引き始めてしまって最終的には倒産となりました。本当にその時は生きた心地がしなかったです。
―その後独立されるんですよね?
中村:そうですね。そのベンチャーを辞めたあと、野村證券の先輩達とベンチャー企業向けの上場コンサルティング会社を立ち上げました。その会社がSBIに買収されることになったので、僕はそのタイミングで独立したんです。
―どうして独立をされたんですか?
中村:元々自分で事業をやりたいと思っていたのとコンサルティング会社でも自分のクライアントが多かったこともあって、独立してやれる自信があったからですかね。僕に賛同したもう一人と、上場コンサルティングや内部監査のアウトソーシング、企業再生の仕事をはじめました。
独立して学んだことは 自分たちがやっていたコンサルティング事業ってあんまりアップサイドがなかったんですよね。どれだけ自分の時間を切り売りするかみたいな、朝から晩まで必死に働いていたんですけど、40歳位まではいいけど、もう少し歳を取ったときに今のままじゃ難しいなと感じていました。もっと大きなビジネスをしていきたいなと思ったときに、ネットプライス(BEENOSの前身)の社長の佐藤さんと出会ったんです。
―佐藤さんとの出会いについて教えてください
中村:これが縁なんですよね。僕の前任のCFOが野村證券の同期だったんです。その同期から相談が来て、上場を準備しているんだけど、監査役をやってくれないかって頼まれたんです。しかもその同期もまた別の野村の同期から誘われてCFOになっていたんですよ。2人の同期の縁で今の僕があります。
―監査役からCFOになられたんですか?
中村:違うんです。ネットプライスが無事上場してまもなく、佐藤さんから100%ネットプライスにコミットしてもらえないか?と言われたんです。当時は自分でも会社をやっていたし、監査役だったので週に数回しか出社していなかったんです。てっきり僕は管理部門をみて欲しいというリクエストだと思い込んでて、すでに同じキャリアの前職同期がCFOとしていたから、「僕には彼以上に新しい価値は提供できないと思いますよ」と答えたところ、佐藤さんからは意外なオファーが、、、「CFOじゃなくて事業をやって欲しい、金融事業を考えて欲しい」と。ネットプライスの顧客基盤や取引先を対象にした金融事業なら面白いかもしれないと思い、そのオファーをお受けしました。新たにネットプライスファイナンスという会社を立ち上げ、GEコンシューマーファイナンス(当時)と合弁でネットプライスカードを設立しクレジットカード事業を始めたり、少額短期保険の事業を始めました。
1年半ほどやっていましたが、2007年に持株会社体制に移行するタイミングで僕がCFOになって、ファイナンスの会社はネットプライスに吸収して…という流れです。監査役から金融事業の代表取締役を経てCFOになったんです。
事業責任者になり、優先順位と巻き込み力の重要性を痛感
―事業のご経験での一番の学びは何でしたか?
中村:事業って色んな人を巻き込まないといけないじゃないですか。新規事業をやっている方はみなさん感じていると思うんですけど、自分一人じゃ何も出来ないんです。たとえばクレジットカード事業開始します。GEと提携します。とプランニングや提携交渉は、もしかしたら一人でもできるかもしれないですが、実際にサービスに落とし込んでいく段階ではシステム開発が必要で、当時は竹内さんがCTOだったんですが、彼に開発をお願いしないといけません。でもネットプライスの開発をメインにやっているところからすると、カード事業の開発の優先順位は高くなかったんですよ。なかなか思うように進まないんです。だから強力な巻き込み力が求められました。もちろん自分の考えだけを押し付けてもだめだし、みんなそれぞれ優先順位がありますし。優先順位は全体を見て判断していく必要があって、業績へのインパクトと緊急性のバランスが重要です。新規事業をやってる人たちも同じような悩みを抱えていると思います。事業責任者は自分の事業を伸ばすことに集中しますが、一方でグループ全体を見て判断していかなくてはならないところもありますよね。どう折り合いを付けていくかがすごく難しいです。誰も間違っていないんです。こういう苦労は僕もしたんですよ(笑)。
―事業責任者の苦労もご存じということですね(笑)。2006年から管理部門統括をされて。
中村:そうですね。2003年から2004年が監査役、2004年から2006年が金融事業の社長、2006年から管理担当になって持株会社体制への移行を主導するような形ですね。
―持株会社体制への移行はどういう意向で行ったのですか?
中村:ネットプライスは変化の激しいIT業界の中で、常に新しい価値を生んでいきたい、新しい事業をどんどん創造していきたかったんです。そこで新しい事業をネットプライスの下に置いてしまうとどうしてもネットプライスの事業や組織、人に影響を受ける形になってしまうんです。それをネットプライスと並列で、ネットプライスとは異なる領域の事業も作っていくような形にした方がいいと考えて持株会社体制に移行したんです。
―様々なことをしている中でそれぞれの専門性が育っていったという感じでしょうか?
中村:僕の場合はそうですね。最初からこういう風になろうと思っていたわけではなくて、目の前の課題に対応してきた結果ですね。
後編に続く
Profile プロフィール
- 代表取締役 執行役員副社長 兼 グループCFO
コーポレート担当
中村 浩二 Koji Nakamura - 1990年、野村證券株式会社に入社しIPO部門にて10社以上の株式上場を手がける。
1996年からインターネット黎明期にネットベンチャーでの経験を経て、2001年には自身でコンサルティング会社を設立し、企業の上場支援や事業再生などを手がける。
2003年当社監査役就任、2004年当社ファイナンス子会社代表取締役社長、2006年から当社管理部門を統括し、2012年より当社代表取締役副社長兼グループCFOとしてグループ全体の管理部門を統括する。2020年、代表取締役 執行役員副社長 兼 グループCFOに就任。