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2021.11.05
新卒入社社員が事業責任者になるまで。 2大事業のCOO/取締役2名にキャリアの積み方と成長のヒントを聞きました ー前編ー

現在COO・取締役を務める佐藤星と植松勇人。BEENOSグループで2大事業を牽引するお二人には、新卒入社という共通点がありました。スタートアップからグループを牽引する流通を創る現在に至るまでのキャリア形成の過程には何か成長のヒントがあるのでは?社内で若手社員向けに開催された座談会を今回記事に起こしています。事業責任者を目指す方必読の対談、二人のキャリアについてやCOOを志す若手が今から取り組むべきことについて聞いてみました。前編・後編でお届けします。
―どんなキャリアを歩まれてきましたか
星:現在私はtensoのCOO、BEENOSグループでは常務執行役員としてグローバルコマースDivの副担当などをやっています。2009年の4月に新卒として入社したんですが、2008年2月からアルバイトとしてBEENOSにいたので2008年からこの会社にいたということになりますね。
2009年に新卒として入社してすぐに、当時、社員が7,8人しかいなかったtensoに配属になりました。今のtensoのようにCSとか倉庫とかシステム開発などの明確な区分けが無かったので本当にいろいろな仕事をやらせてもらいました。2012年の8月に、当時唯一の専属担当として、Buyee立ち上げのプロジェクトに参画しました。Buyeeが立ち上がってからは、Buyeeに関わる、ほとんど全部の仕事に携わることができ、Buyee事業も順調に伸びていきました。2014年に執行役員になりますが、そのころからBuyeeがtensoの主力事業になっていきました。2017年に取締役になってtensoの予算全体の管理を任されるようになりました。そして2019年5月からCOOになりました。また、去年グループのグローバルコマースに関わる、BEENOSの執行役員になりました。
―BEENOSグループ(旧ネットプライス)への入社のきっかけは何でしたか?
星:当時会社説明会に行って「新規事業を立ち上げたいのですが、どうすれば良いですか?」と聞いたら、「じゃあ来ていいよ」と言われ、BEENOSですぐに仕事をさせてもらった感じです。最初はアルバイトとして入社しました。
植松:気づいたらもう令和ですが昭和生まれの植松です。僕は2007年に入社しています。星さんと一緒で僕も大学4年の頃に内定後、入社前にバイトをかねてのインターンとして働いていました。2007年4月DSTに出向となり、まだブランディアがないころに山手線に乗ってパソコンだけ持って田町の雑居ビルに向かいました。初めての仕事は近くのホームセンターで自分の机といすを買ってくることでした(笑)総務がなかったのでそういう仕事から始めて。2011年からマネージャーとなり2012年から部長となり2013年に取締役となっています。
僕はCOOという肩書はないんですけど、やっていることはCOOとCMOの間みたいなことをやっていて、マーケティング軸で分析したりだとかをずっとやっています。でもそこに行きつくまでは星さんと一緒で本当になんでもやっていたんですよね。CSをやったりだとか事務処理を手伝ったり、人がいないのでなんでもやっていました。
―最初の3年の過ごし方 についてお伺いさせてください。
星:3年というと、入社してからBuyee事業を始める前くらいまでだと思うんですが、仕事の内容は多様でした。カスタマーサポートも経験しましたし、オペレーションに関する倉庫作業、アライアンスのときの契約書をつくったり、経理に関する仕事を手伝ったり。あとは自分でシステム構築を行ったりデザインにも関わったり、すごくいろんなタイプの仕事をさせていただきました。 最初は業務量よりも頭の切り替えが大変でした。様々な視点から考えられる経験ができたかなと思います。
例えば一つの部署しか経験しないとそのひとつの解決策にとらわれやすくなってしまうかと思うんですが、これはシステムで解決できるとか、これはカスタマーサポートでもっといい言い方があるんじゃないかとか、多面的に考えられるようになった経験ができたのは良かったなと思っています。
―どのくらいのスパンで業務は変わっていたんですか?
星:一日の中でなんども切り替わる感じでしたね。
―上司は直井さんですよね。どういう指導だったのか、非常に気になります。(笑)
星:当時の仕事の仕方としては僕と一緒で直井さんも何でもやっていました。直井さんはやっぱり「どの仕事をやっても出来る人」という印象があります。CSをやっても、お客様から感謝されるというか的確に回答ができる人ですし、倉庫作業もめちゃくちゃ早かった。WEBページの制作も要点を抑えてしっかり考えられてました。マーケティングでも一番良い数字を残していました。直井さんはご自身で得意だと思っていらっしゃらないかもしれないですが、システムに対する意見も的を射たものが多かったと思います。あまり経験のない分野でも、自分で考えてすごくいい回答を出す方だなと思っています。
自分もそれができるように、真似しようとしていた部分は多かったと思います。
―想像がつかないのですが、星さんの若手の頃はどういう感じだったんですか?
星:当初は直井さんの意見に従うだけでしたね。(笑) 怒られたことは、あまり覚えていないです。直井さんは私に限らず部下を追い詰めない方で、そこがすごいなと思っています。誰に対しても本人が反省しているときは叱る言葉とは逆の言葉を言ったりするんです。ミスしているときって、ミスをした本人もつらいじゃないですか。そういう時にさらに叱られると追い詰められてしまうと思うんですけど、それはメンタル的にも良くないと思いますし、逆にその人のパフォーマンスが今後発揮しづらくなってしまうじゃないですか。直井さんはその人に適した、かつ次に成果を出しやすい声のかけ方をしていました。だからかも知れませんが、怒られたことはあまり記憶にないですね。
植松:僕も星さんに近くて、最初のうちはあらゆることを一日に並行してやっていることが普通でした。午前中は査定、午後はマーケティングの会議、夕方からは出荷の手伝い、そのあとに締め処理があって、それを必要に応じて分けてやっている感じでした。だからこそ、会社の成り立ちはよくわかるんですよね。ここはこういう意味があってこの部署をやっているんだとか、こういう人がこういうところで働いているんだとか顔が見えてわかるので、自分としてはそこは勉強になった部分です。ただめちゃくちゃやることがいっぱいあって、終わりが見えないくらいやることがたくさんあった。そこでメンタルをどう保つかの課題はありました。
打開策はお酒を飲んだりだとか、金曜日の仕事が終わるとハイテンションになっていたりだとか。自分の中で息抜きをどうするかは筋トレと一緒で、いっぱいまで業務をやらないとわからないんです。いっぱいまでやることで、自分は仕事をやったんだなという実感が持ててシンプルにうれしい、楽しいと感じます。そしてまた頑張ろうとなる。
―3年目までは領域広く仕事をしていたんですね。
植松:そうですね。食わず嫌いなしでした。
―やめようと思ったことはありませんか?
植松:ありましたね。(笑)今もはっきり覚えてるんですけど、2008年、僕が入社1年目か2年目くらいにすごく大きなアライアンスが決まり、ものすごい量の買取申し込みが来たんです。WEB申し込みも多かったんですが電話も結構来ていて、朝来て電話が10時に開くと全回線に電話が来ていて電話も真っ赤になっていたんです。当時CSは3人しかいなかったので、ずっと午後6時まで電話を取っていました。耳がちぎれるかと思うくらい。でも電話はかかってくるので対処しなきゃいけないじゃないですか。追い込まれて。ですが、ピーク超えると楽しくなってしまったんです。こんなに電話が鳴ってるわ、と。そこで何とかメンタルが持った感じですね。ほんとにこの時期やめようと思っていましたね。二か月以上電話は鳴りやみませんでした。ハートは強くなりました。1回、2回山を越える経験をしていると折れないですね。
―電話を取り続けてもきっと夜は違う仕事をしなくてはいけなかったんですよね
植松:そうですね。当時はまだ事業も黎明期でスタートアップでしたし、そういう時代でしたね。その間、一瞬のスキを縫って近くのやよい軒でおなか一杯食べて。なにかに逃げ道を残しておかないとやばいと思って。でも、終わってみると寂しい感じもあるんですよね。自分の中で消化しているんですね。次もうちょっと申込みが来るにはどうしたらいいかなと考える余裕が出てきたり、もっとこうしておけばよかったなとか、すごくその時は思いましたね。
―山を越える瞬間はどんなときですか?
植松:売り上げの数字を見ていて感じましたね。毎週100件くらいしか申し込みが来ていなかったとしたらアベレージが上がってるんですよね。200、300件の申込みが当たり前に来るようになっていて「これはステージが変わったんだな」と。成長が癒しみたいな話じゃないですけど、確実に会社が変わっている感覚もあるし、それを乗り越えてきたからよかったんだなという感覚があって、それでこれまでの苦労がチャラになっているのかなと。
星:
振り返ってみたんですけど、やめようと思ったことはあんまりないです。忙しいのもあって、やめて次の就職先を考える余裕はなかったかも知れないですね。
自分の考え方ですが、どの仕事をやっていても「この仕事は一番重要な仕事だ」と感じてしまうので、そうするとやめると迷惑がかかるのでやめようと思ったことがないです。所属しているのは日陰の部署だったこともあると思いますが、それでも一番重要な仕事だと思っていました。
―やりたくない仕事もなかったですか?
星:そもそも、やりたくないというのは考えが足りてないのかも知れません、冷静に考えればやりたくないということは業務改善の余地があるということなんですよね。皆がやりたがらないということはなにかあるんです。僕は成果を上げるほうが好きだし、このつまらない仕事をやるとめちゃめちゃ成果が上がるとしたらそっちのほうが重要だと思う考え方なので、仕事をおもしろい・つまらないでは、あんまり考えていないです。
でも、敢えて言うなら、2014年頃、転送コムがすごく数字が伸びた時期に倉庫作業を毎日夜遅くまでしていて大変でした。さばききれないのでそのときは全社員が倉庫で対応していましたね。
―お二人のキャリアの転機は何でしたか?
星:購入サポートサービスBuyeeの立ち上げですね。当初は何でもやらなくてはいけなかったので、いろんなことを知ることが出来ました。転送コムはすでにサービスができていた状態で参加したので僕がタッチしない部分もあったんですけど、Buyeeは本当に何でも取り組めて、包括的に見れました。結果として会社に何か問題があってもいろんな見方ができるようになりました。そこはすごくよかったなと思います。
そういった経験があるので、今COOをしているのですが、どの部署から相談を受けても意味が分からないということはないです。現場の人のほうが当然、一つ一つの業務については詳しいのですが、自分も、システムでもCSでも倉庫でも様々な分野について、多少は理解していると思いますし、色々なことを考慮して正しい判断がしやすくなったと思います。
―では、全体が見えてきたタイミングは?
星:内部統制を経験した後ですかね。2014年頃から自分がBuyeeに関する内部統制の仕事も担当して、監査をクリアするために経理や内部統制のことを理解するようにしました。もともとビジネスを回すという点についてはある程度わかっていたつもりですが、このあたりで、監査体制やガバナンスも含めて、わかってきたと思います。
植松:27歳くらいの時、マネージャーになりまして、初めて数字を背負うという感覚を持ちました。自分のやっていることがダイレクトに跳ね返ってくる役割に変わったことが大きいのかなと思います。それが面白さにつながったりだとか、続けてみよう・やってみよう・これもっとつっこんでやらないと伸びないぞといった方向に行った気がしますね。転機はこの時だったと思いますね。
後編は、COOを志す若手が持ちたい心構えや今から取り組むべきことについて掘り下げます。
1日の中で複数の業務が切り替わる。なんでもやっていた新卒時代
―どんなキャリアを歩まれてきましたか
星:現在私はtensoのCOO、BEENOSグループでは常務執行役員としてグローバルコマースDivの副担当などをやっています。2009年の4月に新卒として入社したんですが、2008年2月からアルバイトとしてBEENOSにいたので2008年からこの会社にいたということになりますね。
2009年に新卒として入社してすぐに、当時、社員が7,8人しかいなかったtensoに配属になりました。今のtensoのようにCSとか倉庫とかシステム開発などの明確な区分けが無かったので本当にいろいろな仕事をやらせてもらいました。2012年の8月に、当時唯一の専属担当として、Buyee立ち上げのプロジェクトに参画しました。Buyeeが立ち上がってからは、Buyeeに関わる、ほとんど全部の仕事に携わることができ、Buyee事業も順調に伸びていきました。2014年に執行役員になりますが、そのころからBuyeeがtensoの主力事業になっていきました。2017年に取締役になってtensoの予算全体の管理を任されるようになりました。そして2019年5月からCOOになりました。また、去年グループのグローバルコマースに関わる、BEENOSの執行役員になりました。
―BEENOSグループ(旧ネットプライス)への入社のきっかけは何でしたか?

星:当時会社説明会に行って「新規事業を立ち上げたいのですが、どうすれば良いですか?」と聞いたら、「じゃあ来ていいよ」と言われ、BEENOSですぐに仕事をさせてもらった感じです。最初はアルバイトとして入社しました。
植松:気づいたらもう令和ですが昭和生まれの植松です。僕は2007年に入社しています。星さんと一緒で僕も大学4年の頃に内定後、入社前にバイトをかねてのインターンとして働いていました。2007年4月DSTに出向となり、まだブランディアがないころに山手線に乗ってパソコンだけ持って田町の雑居ビルに向かいました。初めての仕事は近くのホームセンターで自分の机といすを買ってくることでした(笑)総務がなかったのでそういう仕事から始めて。2011年からマネージャーとなり2012年から部長となり2013年に取締役となっています。
僕はCOOという肩書はないんですけど、やっていることはCOOとCMOの間みたいなことをやっていて、マーケティング軸で分析したりだとかをずっとやっています。でもそこに行きつくまでは星さんと一緒で本当になんでもやっていたんですよね。CSをやったりだとか事務処理を手伝ったり、人がいないのでなんでもやっていました。
様々な業務を経験することで視野を広げ、事業を多面的に考えられるように
―最初の3年の過ごし方 についてお伺いさせてください。
星:3年というと、入社してからBuyee事業を始める前くらいまでだと思うんですが、仕事の内容は多様でした。カスタマーサポートも経験しましたし、オペレーションに関する倉庫作業、アライアンスのときの契約書をつくったり、経理に関する仕事を手伝ったり。あとは自分でシステム構築を行ったりデザインにも関わったり、すごくいろんなタイプの仕事をさせていただきました。 最初は業務量よりも頭の切り替えが大変でした。様々な視点から考えられる経験ができたかなと思います。
例えば一つの部署しか経験しないとそのひとつの解決策にとらわれやすくなってしまうかと思うんですが、これはシステムで解決できるとか、これはカスタマーサポートでもっといい言い方があるんじゃないかとか、多面的に考えられるようになった経験ができたのは良かったなと思っています。
―どのくらいのスパンで業務は変わっていたんですか?
星:一日の中でなんども切り替わる感じでしたね。
―上司は直井さんですよね。どういう指導だったのか、非常に気になります。(笑)
星:当時の仕事の仕方としては僕と一緒で直井さんも何でもやっていました。直井さんはやっぱり「どの仕事をやっても出来る人」という印象があります。CSをやっても、お客様から感謝されるというか的確に回答ができる人ですし、倉庫作業もめちゃくちゃ早かった。WEBページの制作も要点を抑えてしっかり考えられてました。マーケティングでも一番良い数字を残していました。直井さんはご自身で得意だと思っていらっしゃらないかもしれないですが、システムに対する意見も的を射たものが多かったと思います。あまり経験のない分野でも、自分で考えてすごくいい回答を出す方だなと思っています。
自分もそれができるように、真似しようとしていた部分は多かったと思います。
―想像がつかないのですが、星さんの若手の頃はどういう感じだったんですか?
星:当初は直井さんの意見に従うだけでしたね。(笑) 怒られたことは、あまり覚えていないです。直井さんは私に限らず部下を追い詰めない方で、そこがすごいなと思っています。誰に対しても本人が反省しているときは叱る言葉とは逆の言葉を言ったりするんです。ミスしているときって、ミスをした本人もつらいじゃないですか。そういう時にさらに叱られると追い詰められてしまうと思うんですけど、それはメンタル的にも良くないと思いますし、逆にその人のパフォーマンスが今後発揮しづらくなってしまうじゃないですか。直井さんはその人に適した、かつ次に成果を出しやすい声のかけ方をしていました。だからかも知れませんが、怒られたことはあまり記憶にないですね。
植松:僕も星さんに近くて、最初のうちはあらゆることを一日に並行してやっていることが普通でした。午前中は査定、午後はマーケティングの会議、夕方からは出荷の手伝い、そのあとに締め処理があって、それを必要に応じて分けてやっている感じでした。だからこそ、会社の成り立ちはよくわかるんですよね。ここはこういう意味があってこの部署をやっているんだとか、こういう人がこういうところで働いているんだとか顔が見えてわかるので、自分としてはそこは勉強になった部分です。ただめちゃくちゃやることがいっぱいあって、終わりが見えないくらいやることがたくさんあった。そこでメンタルをどう保つかの課題はありました。
打開策はお酒を飲んだりだとか、金曜日の仕事が終わるとハイテンションになっていたりだとか。自分の中で息抜きをどうするかは筋トレと一緒で、いっぱいまで業務をやらないとわからないんです。いっぱいまでやることで、自分は仕事をやったんだなという実感が持ててシンプルにうれしい、楽しいと感じます。そしてまた頑張ろうとなる。
―3年目までは領域広く仕事をしていたんですね。
植松:そうですね。食わず嫌いなしでした。
山を越えて次のステップへの糧に
―やめようと思ったことはありませんか?

植松:ありましたね。(笑)今もはっきり覚えてるんですけど、2008年、僕が入社1年目か2年目くらいにすごく大きなアライアンスが決まり、ものすごい量の買取申し込みが来たんです。WEB申し込みも多かったんですが電話も結構来ていて、朝来て電話が10時に開くと全回線に電話が来ていて電話も真っ赤になっていたんです。当時CSは3人しかいなかったので、ずっと午後6時まで電話を取っていました。耳がちぎれるかと思うくらい。でも電話はかかってくるので対処しなきゃいけないじゃないですか。追い込まれて。ですが、ピーク超えると楽しくなってしまったんです。こんなに電話が鳴ってるわ、と。そこで何とかメンタルが持った感じですね。ほんとにこの時期やめようと思っていましたね。二か月以上電話は鳴りやみませんでした。ハートは強くなりました。1回、2回山を越える経験をしていると折れないですね。
―電話を取り続けてもきっと夜は違う仕事をしなくてはいけなかったんですよね
植松:そうですね。当時はまだ事業も黎明期でスタートアップでしたし、そういう時代でしたね。その間、一瞬のスキを縫って近くのやよい軒でおなか一杯食べて。なにかに逃げ道を残しておかないとやばいと思って。でも、終わってみると寂しい感じもあるんですよね。自分の中で消化しているんですね。次もうちょっと申込みが来るにはどうしたらいいかなと考える余裕が出てきたり、もっとこうしておけばよかったなとか、すごくその時は思いましたね。
―山を越える瞬間はどんなときですか?
植松:売り上げの数字を見ていて感じましたね。毎週100件くらいしか申し込みが来ていなかったとしたらアベレージが上がってるんですよね。200、300件の申込みが当たり前に来るようになっていて「これはステージが変わったんだな」と。成長が癒しみたいな話じゃないですけど、確実に会社が変わっている感覚もあるし、それを乗り越えてきたからよかったんだなという感覚があって、それでこれまでの苦労がチャラになっているのかなと。
星:
振り返ってみたんですけど、やめようと思ったことはあんまりないです。忙しいのもあって、やめて次の就職先を考える余裕はなかったかも知れないですね。
自分の考え方ですが、どの仕事をやっていても「この仕事は一番重要な仕事だ」と感じてしまうので、そうするとやめると迷惑がかかるのでやめようと思ったことがないです。所属しているのは日陰の部署だったこともあると思いますが、それでも一番重要な仕事だと思っていました。
―やりたくない仕事もなかったですか?
星:そもそも、やりたくないというのは考えが足りてないのかも知れません、冷静に考えればやりたくないということは業務改善の余地があるということなんですよね。皆がやりたがらないということはなにかあるんです。僕は成果を上げるほうが好きだし、このつまらない仕事をやるとめちゃめちゃ成果が上がるとしたらそっちのほうが重要だと思う考え方なので、仕事をおもしろい・つまらないでは、あんまり考えていないです。
でも、敢えて言うなら、2014年頃、転送コムがすごく数字が伸びた時期に倉庫作業を毎日夜遅くまでしていて大変でした。さばききれないのでそのときは全社員が倉庫で対応していましたね。
キャリアの転機
―お二人のキャリアの転機は何でしたか?
星:購入サポートサービスBuyeeの立ち上げですね。当初は何でもやらなくてはいけなかったので、いろんなことを知ることが出来ました。転送コムはすでにサービスができていた状態で参加したので僕がタッチしない部分もあったんですけど、Buyeeは本当に何でも取り組めて、包括的に見れました。結果として会社に何か問題があってもいろんな見方ができるようになりました。そこはすごくよかったなと思います。
そういった経験があるので、今COOをしているのですが、どの部署から相談を受けても意味が分からないということはないです。現場の人のほうが当然、一つ一つの業務については詳しいのですが、自分も、システムでもCSでも倉庫でも様々な分野について、多少は理解していると思いますし、色々なことを考慮して正しい判断がしやすくなったと思います。
―では、全体が見えてきたタイミングは?
星:内部統制を経験した後ですかね。2014年頃から自分がBuyeeに関する内部統制の仕事も担当して、監査をクリアするために経理や内部統制のことを理解するようにしました。もともとビジネスを回すという点についてはある程度わかっていたつもりですが、このあたりで、監査体制やガバナンスも含めて、わかってきたと思います。
植松:27歳くらいの時、マネージャーになりまして、初めて数字を背負うという感覚を持ちました。自分のやっていることがダイレクトに跳ね返ってくる役割に変わったことが大きいのかなと思います。それが面白さにつながったりだとか、続けてみよう・やってみよう・これもっとつっこんでやらないと伸びないぞといった方向に行った気がしますね。転機はこの時だったと思いますね。
後編は、COOを志す若手が持ちたい心構えや今から取り組むべきことについて掘り下げます。
Profile プロフィール
- 佐藤 星(Sei Sato)
- 大学在学中より当社にて事業構築に携わり、2009年当社入社。設立直後のtenso株式会社にて、事業立ち上げに関連する基盤構築のため、多岐にわたる業務に従事。2012年以降、購入サポートサービス「Buyee」の事業責任者として、クロスボーダーEC領域における業界ナンバーワン事業への拡大に貢献する。 2017年、tenso 取締役に就任後、2019年にCOOに就任し、事業の運営を統括。 2020年よりBEENOS株式会社常務執行役員に就任、グローバルコマースDivision副担当として「FROM JAPAN」「TO JAPAN」両事業を統括する。
- 植松勇人(Hayato Uematsu)
- 2007年に当社(旧ネットプライス)に新卒で入社後、デファクトスタンダード株式会社に出向。当時はまだ珍しいアパレルリユースDX事業である「ブランディア」にて多岐にわたる業務に従事し、マーケティング領域を中心に買取・販売を拡大し、事業成長に貢献。2008年マーケティング部長、クリエイティブ部長に就任後、2014年12月に取締役に就任。現在はBEENOSグループとして海外販路の拡大など新たな取組を開始。